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【西洋絵画】ゴッホ-(前半)初期の絵は暗かった等の意外な話

こんにちは。本日はゴッホ(1853年~1890年)を紹介します。

有名すぎる画家であり、1度では紹介しきれないため、前半と後半に分けて紹介します。今回は意外と知られていないことも含めて3つのトピックで紹介していきます。

次回の後半ではゴッホが絵画に込めた思いを中心に紹介する予定です。

①生前に売れた絵は1枚

今では世界的に有名なゴッホが評価されるようになったのは、彼が亡くなってからです。生きている間に売れたのは「赤いブドウ畑」の1枚だけでした。400フラン(約11万円)で売れたそうです。

第二次世界大戦後に彼への評価は急激に高まり、1987年には「ひまわり」が当時のオークションでの最高額となる約53億円で安田火災海上保険によって落札されます。

その後の1990年にはまたも日本人がゴッホの絵画を114億円で落札しており、ゴッホの絵は高額取引の常連となりました。当時の日本はバブルで景気がよかったんですね。

因みに最近ではダビンチが描いた「サルバトール・ムンディ」が約510億円で落札され、話題となりました。この20年の間に最高落札額の高騰ぶりにも驚きです。

「赤いブドウ畑」1888年

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②初期は暗い絵

ゴッホといえば、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」といった、黄色を基調とした色彩豊かな絵画が代名詞です。しかし、初期の頃の彼は灰色を基調とした暗い、物寂しい絵画をよく描いています。(初期からカラフルな絵を描いていたとばかり思っていたため、私はこれに驚きました。)

農村の侘しい風景を描いた作品を数多く書き、「種まく人」も書いていることから、ミレーの影響を感じ取ることができます。

暗い色彩の絵はゴッホがオランダ・ベルギーにいる頃の作品の特徴で、色彩豊かな絵画を書くようになったのは1886年に弟のテオを訪ねて、パリに来てからです。印象派や浮世絵の影響を受け、彼の絵に彩りが増えていきます。

因みに、彼の代表作とも言える作品の殆どは1888年に南仏アルルへ移ってからの作品です。美術館等で作品の年代を確認すると、大体が1888年以降の作品のはずです。しかも彼は1890年に自殺していますから、晩年の数年の間に多くの世界的な傑作が生まれたことになります。

夜のカフェテラス1888年

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「種まく人」1883年

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「刈り込んだ柳のある風景」1883年

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ジャポニズム

日本の開国とともに、日本の美術品が西洋に流入し、西洋の画家たちは葛飾北斎をはじめとする日本の絵画の斬新な構図や色使いに驚き、吸収を試みます。西洋で日本美術の大流行が起きます。これがジャポニズムです。印象派が流行したきっかけの1つでもあります。
ambf.hatenablog.jp

 

ゴッホの絵画の大胆な画面構成と豊かな色彩は日本の浮世絵の影響を色濃く受けたものです。例えば「タンギー爺さん」では背景に日本の浮世絵が多数描かれていることからも、それが見て取れます。

代表作の「ひまわり」でも平面的な構図と色使いは浮世絵の技法を取り入れたものと言えます。

タンギー爺さん」1887年

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「ひまわり」1888年

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1月8日まで上野の東京都美術館で「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を開催していますので、ぜひ展覧会に足を運んでいただければと思います。展覧会ではゴッホが得た日本からの影響とゴッホの死後、ゴッホ終焉の地を訪ねた日本人を通して、ゴッホを紹介しています。

事前に情報を入れた後で見に行くと、展覧会がより楽しくなると思います。