【西洋絵画】アングル-19世紀フランス美術界の最高権威
本日はアングルとその代表作を紹介します。
アングル(1780年~1867年)はフランスの画家です。新古典主義に属します。
新古典主義と言えば、伝統や格式を重んじ、印象派のアンチテーゼとして絵画界に君臨していました。(因みに、ドラクロワ率いるロマン主義も新古典主義と対立していました。)
宗教画や歴史画等の、芸術アカデミーや官展が認める古典的な作品を是とする価値観に他の画家達は反発していたのです。
因みに、梶井基次郎の「檸檬」の中に、アングルの名前が出てきます。(主人公は檸檬を手に丸善へ入店したが、好きだったアングルの画集が持てなくなったというシーン。)
西洋絵画が好きになる前に、アングルという響きが心に残っていたのですが、どうやらこれのようです。
経歴
フランスに生まれ、新古典主義の泰斗であるダヴィッドに弟子入りします。
1806年~1824年まで長期のイタリア滞在を行います。そこでラファエロの絵に感動し、ラファエロに傾倒していきます。
それまではぱっとしなかったアングルですが、イタリアからの帰国後に「ルイ13世の誓願」を発表し、絶賛されます。
1825年に美術アカデミー会員に、1833年に国立美術学校の校長となります。これはフランス絵画界の最高権威です。
そして1867年に死去します。
それでは、作品を見ていきましょう。
「グランド・オダリスク」
1814年に34歳で制作されたこの絵には、新古典主義の特徴である、滑らかな肌と曲線が描かれています。また、婦人の表情はラファエロの絵を彷彿とさせます。
ターバンや孔雀の扇子はナポレオンのエジプト遠征によるもので、多くの東方の文物がフランスに流入したようです。
曲線や表情がとても美しく、素晴らしい絵に思えます。しかし、当時の人々からは、デフォルメと言わんばかりの背中の長さや腕の長さが、多くの批判を受けたようです。
「ルイ13世の誓願」
イタリアから帰った年と同年の1824年にこの絵を発表したところ、多くの賞賛を浴び、有名画家の道を歩んでいきます。
絵の内容はルイ13世が聖母マリアとイエスに誓願するという、タイトルそのままです。
特筆すべき点は、ラファエロの「システィーナの聖母」と構図、表情、光の当たり方等が酷似しているということです。
アングルにしてみれば、ダヴィッドに師事したけど上手くいかなかったから、違う道を模索した結果の大当たりというところでしょうか。
アングルがイタリアに着いたとき、「私は騙されていた」という言葉を残しているそうです。
「システィーナの聖母」
1513年~1514年頃に制作された、ラファエロ最後の大作です。ラファエロと言えば、「聖母の画家」という位、聖母を描いた絵が人々に愛されています。優しく慈愛に満ちながらも威厳のあるこの聖母は、後世の画家の規範となりました。
「トルコ風呂」
1862年に描かれたこの絵はトルコの共同浴場を大勢の裸婦で埋め尽くした、アングル晩年の大作です。
この絵も女性たちが不自然に歪んでいて、デフォルメを思わせます。「グランド・オダリスク」で批判を受けた頃と、作品の形態が変わっていません。
アングルは82歳で「トルコ風呂」を描きました。ここに至るまでに、官展が好む多くの傑作を描いて、フランス絵画界の権威まで上り詰めました。周囲にアングルに批判できるような人はいません。
アングルは自分が思う理想の女性像を頑迷なまでに貫きとおしたのです。凄まじい執念と美への固執だと思います。
逆に、ここまでの気概がなければ、トップまで上り詰めないのかもしれません。
それでは今日はここまでとします。
お読みいただき、ありがとうございました。