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【映画紹介】旅情

 旅情(監督デヴィッドリーン 1955年 イギリス・アメリカ)の紹介です。キャリアウーマンの女性がヴェネツィアでのひとり旅中に、現地のイタリア人男性と恋に堕ちる映画です。主演はキャサリン・ヘプバーンです。

 

トーリー

 アメリカで秘書をしている38歳独身のジェーンは長期休暇を取り、ヨーロッパへのひとり旅をする。最終目的地であるヴェネツィアを訪れたジェーンはサンマルコ広場でイタリア人男性レナートと出会う。

 

感想

  映画の魅力の一つに、色々な街の風景を楽しめるということがあります。この映画ではヴェネツィアの綺麗な景色を堪能できます。水の都としての風景や古くから残る町並みを堪能できます。ヴェネツィアングラスも出てきて、特産品の勉強にもなります。

 ルネサンス期のヴェネツィアティツィアーノらの色彩豊かな絵画が生まれました。デッサンのフィレンツェ、色彩のヴェネツィアという言葉もあります。

 

  • レナードの洒脱さ

 パンツェッタ・ジローラモのように、お洒落で女好きというのが、イタリア人男性のイメージですが、レナートもまさにイメージ通りのイタリア人です。

 明るく、冷静に、情熱的にジェーンにアプローチしていきます。距離の詰め方や言葉遣い等が格好よく、あぁこれは落ちますわと納得します。妻子持ちですけど、、、

 レナートはことあるごとに、「prego(プレーゴ)」という言葉を使います。イタリア語で「どういたしまして」や、「どうぞ」等、幅広い意味で使える汎用性のある言葉です。プレーゴのイントネーションがとても格好よく、イタリアに行った際は陽気にプレーゴを連発しようと思っております。

 

  • タイミング・フィーリング・ハプニング

 恋愛に発展するのに必要な3条件としてよく挙げられますが、この映画にはそれがお手本のように、凝縮されています。

 ジェーンとレナートの出会いはサンマルコ広場ですが、そこでは2人は言葉を交わしません。翌日、ジェーンが偶然入った骨董店の店主がレナードであることから2人の恋は始まります(タイミング)。

 秘書としてバリバリ働いてきたジェーンは知的な女性です。一方でレナートは陽気なイタリア人。ないものに惹かれあうのが恋愛の常なのか、2人はすぐに惹かれあいます(フィーリング)。

 ジェーンは骨董店をカメラで撮影していたところ、下がりすぎて後ろの運河に落ちてしまいます。濡れたままホテルに戻ったジェーンは、ホテルまで訪ねてきたレナートにデートに誘われます(ハプニング)。

 余談ですが、キャサリン・ヘプバーンは撮影のために運河に落ちたことが原因で、目の感染症に罹ったそうです。

 

 

 ヴェネツィアの街並みと大人のアバンチュールに彩られた映画「旅情」、見ていただけましたら幸いです。

【映画紹介】禁じられた遊び

 今回紹介する映画は「禁じられた遊び」(ルネクレマン監督 1952年 フランス)です。アカデミー賞名誉賞(後の外国語映画賞)を受賞しています。尺は1時間42分。

 第二次世界大戦期のフランスの田舎を舞台に、少年と少女の交流を通して戦争の悲惨さを描いた映画です。

 ナルシソイエペスが弾く、物悲しいギターの旋律も映画に一層の深みを与えます。

 

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トーリー

 少女ポレットは空襲により両親と愛犬を失い、愛犬の死体を抱きながら川沿いを彷徨っていた。するとミシェルという農家の少年と出会い、2人は仲良くなる。ポレットはミシェルの家に住み始めた。

 ポレットは死の概念を分かっておらず、ミシェルは死んだ犬の供養の方法を教えてあげた。犬を埋葬し、祈りを捧げた2人。ポレットは犬が一人で可哀想だから、沢山のお墓を作ってあげたいとミシェルに言う。

 2人は動物や昆虫の墓作りをするが、エスカレートするあまり、墓地から十字架を盗んでしまう。

 

感想

  • 圧倒的な哀愁

 この映画は「哀愁」の映画と言っても過言ではありません。2人が作った色々な動物の墓がナルシソイエペスの「愛のロマンス」をBGMに、映し出されるシーンの、哀しく繊細な美しさは今まで観てきた映画(鑑賞本数は300本ほどでしょうか)の中で、勝るものがありません。

 私がこの映画を初めて見たのは大学時代の春休みです。DVDでの鑑賞でしたが、このシーンを見たときに余りの表現の美しさに鳥肌が立ちました。「こんなにも哀しく美しい映像があるのか!」と衝撃が走りました。当時の私の驚愕ぶりは忘れることができません。この時の感動が私を映画好きにし、こぞって名作映画を観るようになりました。

 名作映画を紹介する本には、大抵この映画が載っており、その評価も数ある名作映画の中でも最高評価やそれに準ずるような評価を得ています。何気なく借りた1本でしたが、当時はそれほど箔のある映画だとは知らずに借りました。

 色々調べていくうちにこの映画が名作中の名作であることが分かり、嬉しくなったものです。

  • ポレットの魅力

 少女ポレットはこの時4歳~5歳位だと思います。ですが非常に大人びていて、ミシェルに十字架を盗むようにけしかける様子に、フランス女性のコケティッシュさ、妖艶さを早くも感じ取ることができます。

 ミシェルはあっさりと篭絡されていて、あぁ女性は怖くてすごいなと、当時は思ったものです。

 因みに、池波正太郎は生粋の映画好き(映画狂)でしたが、彼はルネクレマンのことを「子役の使い方がうまい」と評しています。激しく同意します。

 

  • 婉曲的な反戦への訴求

 この映画は反戦映画の名作と呼ばれています。声高なメッセージはないものの、戦争に翻弄される幼い2人を描いたことで、「反戦」が伝わっているのだと思います。(加えて、隣家とのけんかも戦争を暗示していると思います。)

 タイトルの「禁じられた遊び」は2人の墓作りだけでなく、戦争も指していると考えられています。

 ここに映画の真髄を見ることができます。感動を煽り立てることなく、何も言わずとも、意図を伝える監督の才に脱帽したものです。

 

 

 徹底的に褒めちぎりましたが、それ位、私の大好きな映画です。映画の中で1番好きです。今見ても昔ほどの感動は望めませんが、映画好きのきっかけになった映画でもあるため、ずっと胸の中で大切にしていきたい1本です。

 

 

 

【西洋絵画】裸婦画の系譜

 昨日の記事では「裸のマハ」を例に、裸婦画について触れました。

 今回は、さらに裸婦画について掘り下げていきたいと思います。

 

ambf.hatenablog.jp

 

 「裸のマハ」登場までは、画家は神話や宗教等にかこつけて裸婦画を描いてきました。単なる女性の裸婦画にならないように、様々なモチーフを使って女神であることを表現してきたわけです。

 昨日も紹介した、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を用いて説明します。

ボッティチェリヴィーナスの誕生

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  まず、ヴィーナス左の男女の周りには薔薇がたゆたっています。右の女性の胸にも薔薇があります。薔薇はヴィーナスを示すアイテムです。

 また、ギリシャ神話ではヴィーナスは海の泡に包まれて誕生したとされていることから、中央の貝がそれを表しています。

 そして、左の男性は西風の神ゼフュロス、抱き合う女性は大地の精クロリスであり、2人とも愛の象徴です。ヴィーナスは愛の女神ですから、2人はそのことを強調する役割を果たしています。

 以上のように、様々なモチーフを使って、ヴィーナスを表現しているのです。

 

 では次に、ティツィアーノが描いたヴィーナスを見てみましょう。

 ティツィアーノ「ウルビノのヴィーナス」

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 とても綺麗な女性です。私の感想ですが、少し佐々木希に似ているように見えます。こちらは、一見すると普通の女性です。しかし、ただの裸婦画を描くわけにはいきませんから、どこかにヴィーナスの部分を残しておかなければなりません。

 そこで、女性の右手をよく見ると数輪の薔薇が握られています。そうです、この僅かばかりの薔薇が彼女をヴィーナスたらしめています。

 当時のパトロンが、限りなく生身に近いようにと注文したのでしょうか。

 

 次に、昨日も紹介した「裸のマハ」です。手短に紹介します。

ゴヤ「裸のマハ」

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 こちらは、女性が横たわっているだけ。正真正銘、何のモチーフもありません。西洋絵画史上初の、生身の女性を描いた裸婦画です。当時としては非常にセンセーショナルな絵画だったことでしょう。

 

 そして、「裸のマハ」にインスピレーションを受けたと言われているのが、マネのオランピアです。

マネ「オランピア

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 こちらはなんと、娼婦をモデルにしたものです。黒人の召使がお客からの花束を届けるところや、サンダル履きが娼婦を想起させます。

 当時のフランスの新聞や批評家は、こぞってこの絵を、「卑しい作品」と批判しました。展覧会で展示された際は、怒りのあまりステッキで殴りかかろうとする人もいたそうです。 

 数々の批判や罵詈を受けるほど、見たくなるものが人情というもので、この絵を見るために展覧会に行列をなしたそうです。

 多くの批判を受けた背景には、上述のティツィアーノの「ウルビノのヴィーナス」を模した作品であることが挙げられます。構図や腕輪、横たわる動物等、挙げればきりがないほど酷似しています。

 ウルビノのヴィーナスは当時から名画と絶賛されていました。その名画の女神を侮辱したと、新聞や市民は捉えたのでしょう。

 

 最後に余談ですが、今挙げた4点の裸婦画に共通しているものがあります。女性のポーズが全てゆるやかにS字となっています。

 これは女性の美を表現するのに最適のポーズで、女性の恥じらいを表すだけでなく、曲線を強調する効果もあります。古代ギリシャの彫刻から既にこのポーズがあります。

 最近の女性のグラビアでも多く見つけることができると思います。古代ギリシャの時代から現代まで受け継がれていることに驚きです。普遍性がすごいです。

 それでは今日はこんなところで終わりにします。お読みいただき、ありがとうございました。

 

【西洋絵画】ゴヤ「裸のマハ」は西洋絵画史上初の○○

 

本日は、私の特に好きな作品である、スペインの画家ゴヤが描いた「裸のマハ」を紹介します。

 

ゴヤ「裸のマハ」

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セクシーなお姉さんが横たわった、官能的な絵画ですね。これは18世紀末~19世紀初頭に描かれたと言われています。

 この絵画の最も特筆すべき点は、西洋絵画史上、初めて、生身の裸婦を描いた点です。それまで、有名な裸婦像は幾つもありました。例えば、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」です。

 

ボッティチェリヴィーナスの誕生

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 当時は宗教や神話を題材にして裸婦を描いていました。逆に言うと、宗教や神話を題材にしない限り、裸婦を書くことはキリスト教の教義に反するために、許されなかったのです。

 この禁忌を破ったのが、ゴヤでした。彼は1789年に43歳でスペイン王家の宮廷画家に上り詰めますが、その3年後、病気により聴覚を失います。

 その影響か、ゴヤは自身の内面と向き合うようになり、宮廷画家として与えられた絵を描くだけでなく、自身が描きたい絵に傾倒していきます。

 ゴヤ自身、カトリック教会が強い勢力を持っていたスペインで、裸婦像を発表すればただではすまないことが分かっていたはずです。事実、この作品を理由に宗教裁判に掛けられています。それでも、自身の意思を貫き、画家としての矜持を持って描ききったものが「裸のマハ」でした。

 

 そして、裸のマハと対をなす、「着衣のマハ」があります。こちらもゴヤが「裸のマハ」と同時期に制作したもので、裸婦画を制作していたことを隠すカモフラージュと考えられています。(この他にも、「着衣時と見比べるため」という説もあります。)

 

ゴヤ「着衣のマハ」

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 因みに、絵のモデルは、王妃マリア・ルイサに仕えた宰相ゴドイの愛人と考えられています。マハというのはスペイン語で「小粋な娘」という意味で、個人の名前ではありません。

 

 「裸のマハ」はその後の絵画史に大きな影響を与え、マネの「オランピア」にインスピレーションを与えたと考えられています。こちらは娼婦をモデルにしたと言われており、当時の人々の物議を醸すこととなりました。

 

マネ「オランピア

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  西洋絵画で初めて生身の裸婦像が出てきたのは18世紀末~19世紀初頭です。なんと産業革命フランス革命よりも後です。それを考えると、当時のキリスト教的価値観がどれほど大きな影響を与えていたかということが分かります。

 それでも、当時の慣習を破り、自分の表現を貫いたゴヤを私は格好よく思います。宮廷画家として安定した地位にあり、評価を得ていながらもそれに甘んずることなく、自己表現を貫徹し、絵画にイノベーションを起こしたゴヤは最高にロックな芸術家と言えるでしょう。

【映画の感想】アンタッチャブル

 先日、映画「アンタッチャブル」を見てきました。1987年のアメリカ映画です。

トーリー

 禁酒法時代のシカゴは、アルカポネとその子分のギャング達に牛耳られていました。シカゴを浄化するために、カポネ逮捕に奮闘する捜査官チーム「アンタッチャブル」とそのリーダーである財務省の役人ネスの活躍を描きます。なお、ネスは実在の人物であり、彼の自伝を基にした映画です。老警官役のショーンコネリーがアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。エンリオモリコーネの音楽とジョルジオアルマーニのスーツ、シカゴの街並みも見所です。

 

感想と見どころ

  • 最後のシーンでの、ネスの粋な台詞

 当時は本当にギャングの力が強く、警察や政治家もギャングに買収されており、機能していませんでした。そのような中で、ネスはカポネ逮捕のために財務省からシカゴ警察へ出向してきます。

 ネスは赴任早々、警察官一同に「禁酒」を命じます。「法規たる我々が、遵法しなくてどうする」ということです。飲酒は違法でしたが、警察たちはこっそり、ギャングが密輸した酒を飲んでいました。ネスへの風当たりは強く、当初は四面楚歌のネスですが、信念を持って仕事をする中で仲間を得て、「アンタッチャブル」を結成します。

 ネタバレになるので詳しいことは書けませんが、チームは艱難辛苦を乗り越え、カポネを逮捕することができました。逮捕後に記者からインタビューを受けるのですが、ネスの返答がとても粋です。本当に格好いい。この台詞のためだけでも、映画を見る価値があります。

 

  • ネスの気概

 当時は警察さえもギャングの味方でした。そのような状況でシカゴに乗り込み、カポネを逮捕しようとするわけですから、当然自分や家族に危害が及ぶことは分かっていたはずです。妻と子供はすぐに引越しをさせますが、それでも単身となった身で、自らの信念を貫き、職務を全うしようとする気概に敬服します。

 余談ですが、ネスは財務省からの出向で相当のエリートだと思われるのですが、それを示すシーンがあります。赴任早々、市議会議員が賄賂を渡して懐柔しようとするのですが、ネスは歯牙にもかけず、「古代ローマでは官吏を買収しようとする者は耳を引きちぎられ、袋に詰められて川に流されたぞ」と一蹴します。アメリカの一流大学では学生にリベラルアーツを叩き込むそうですから、さらっと古代ローマを持ち出すことに、ネスの教養の一端が垣間見えた気がしました。これが「教養」なのだと感服しました。

 

  • 引き込まれるカメラワーク

 理髪されるカポネを真上から写す冒頭のシーンから一気に映画に引き込まれます。一瞬にして、カポネの只者ではない感がひしひしと伝わります。また、自宅にいる老警官を襲うギャング目線でのカメラワークや、階段での銃撃戦のスローモーションは手に汗握ります。カメラワークも素晴らしい映画です。

 

  • アルカポネのカリスマ性

 ロバートデニーロ演じるアルカポネの渋みがたまりません。カポネはシカゴの全てを手中に収めていた男です。裁判に被告として出廷しても、動じることなく葉巻をくゆらせます。行動の節々まで余裕を見せる男のカリスマ性は一見の価値があります。

 

 

 私は午前十時の映画祭で見たのですが、映画評論家の町山智浩さんが午前十時の映画祭のリーフレットで「アンタッチャブル」を、大スクリーンで観るために作られた絢爛たるスペクタクルと評していました。

 本当に映画館で見るべき映画だと思いますので、ぜひ劇場へ足を運んでいただければ幸いです。

 

【西洋絵画】絵画の役割のざっくりとした変遷

当たり前の話ですが、現在、私たちが美術館や書籍等で見ることのできる西洋絵画の殆どは、画家が描いたものです。主体Aが画家に作品の制作を依頼し、画家は報酬を受け取ります。

仕事ですから、画家は自分の描きたいテーマを自由に描けるわけではありません。与えられたテーマの中で、画家は最大のパフォーマンスを発揮します。

この、主体Aと与えられたテーマが何であり、どういう風に移り変わったかというのが今回の話です。

それではざっくりと、「中世・ルネサンス期」、「絶対王政期」、「近代」の3つの時代に分けて説明していきたいと思います。

 

中世・ルネサンス期(15~16世紀)

主体A、つまり絵画を依頼していたのは、主にカトリック教会です。当時は教会が絶大な力を持っており、市民に対して豪奢な絵画を見せ、その力を示すだけでなく、聖書の話を市民に伝えるためにも絵画が必要でした。

聖書の文字が読める人は知識人であり、一般の市民は殆ど文字が読めなかったためです。そのため、必然的にテーマは、聖書の一場面を描いたものとなります。ダヴィンチ、ミケランジェロラファエロ等が手がけた作品が有名です。

また、ルネサンス期では、メディチ家等の新興商人も芸術の担い手となりました。潤沢な資金を背景に、ボッティチェリティツィアーノといった当代一の画家に制作を依頼しました。主にギリシャ神話をモチーフにした作品が有名です。

 

ミケランジェロ「最後の晩餐」

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ボッティチェリ「春(プリマヴェーラ)」

 

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絶対王政期(17世紀)

16世紀から起きた宗教革命により、教会の力が薄れたこの時代は、王家や貴族が権力を持ちました。王の偉大さやカリスマ性を示すために、王は自身や家族を題材にした絵画の制作を画家に依頼します。

当時の優れた画家は宮廷画家として主君に仕え、専属の画家として活躍しました。筆頭はスペインのフェリペ4世に仕えた、ベラスケスです。24歳にして、宮廷画家に就任し、フェリペ4世は彼を寵愛するあまり、他の画家には一切自画像を描かせなかったと言われています。

因みに、この時代の作品は「バロック派」と呼ばれています。カラバッジョレンブラントルーベンスといった画家が有名です。劇的なまでの明暗と豊満な肉体等が特徴です。

 

ベラスケス「ラス・メニーナス

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ルーベンス「キリスト降下」

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近代(18~19世紀)

フランス革命等を経て、絶対王政は衰退していきます。次の主役は市民です。ようやく市民が芸術の主役となります。絶対的なパトロンがいなくなったことにより、画家は比較的自由に描きたいものを描けるようになりました。

また、油彩絵具の発達により、屋外での制作が可能になりました。これにより、市民の日常や風景を題材にした絵が数多く制作されました。画家は制作した作品を画商を通じて、販売します。因みにゴッホの弟、テオは画商でした。

この時代の画家は印象派と呼ばれます。日本でも馴染み深く、人気があります。モネ、ルノワールやマネが筆頭です。素朴な農村風景を描いたバルビゾン派では、ミレーが有名です。

なお、印象派の登場する背景の一つに、新古典主義への反発があります。新古典主義ルネサンス古代ギリシャを理想とし、歴史画や宗教画を格上とし、芸術アカデミーや官展(サロン)が認めた「権威」ある作品を是とします。

この旧態依然とした体制に反発し、生まれたのが印象派と言われています。見比べると作品の特徴の違いに驚くと思います。アングルやダヴィドが新古典主義に属します。

 

ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

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 ミレー「落穂拾い」

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 アングル「グランド・オダリスク

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いかがでしたでしょうか。絵画を見る際の参考になりましたら、幸いです。

余談ですが、イタリアやスペイン、ベルギーには著名な画家が存在し、絵画も数多く残されています。その理由としてカトリックの国だったことが挙げられます。いずれ、これについての記事も書きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

 

【映画の感想】招かれざる客

招かれざる客(スペンサートレイシー監督 1967年)の感想です。

 

概要

 白人女性と黒人男性との間の、人種差別に翻弄される愛を描いたアメリカ映画です。第40回アカデミー賞では10部門の候補となり、娘の母親役を演じたキャサリンヘプバーンが主演女優賞を獲得しました。

 

トーリー

 大学生の白人娘ジョアンナはハワイでのひとり旅中、エリート黒人医師プレンティスと恋に落ちる。2人は帰国後そのまま、サンフランシスコにあるジョアンナの両親の家に挨拶し、結婚することを伝える。急な結婚報告に加え、相手が黒人であることに戸惑う両親。プレンティスは数時間後にはスイスへ仕事で行かねばならず、同行するから今日中に了承してほしいと言うジョアンナ。やがてプレンティスの両親も駆けつけ、こちらも婚約相手が白人であることに驚く。

感想

 人種差別を軸に、恋愛を描いた良質な映画。とても面白かったです。感想を箇条書きで述べていきます。

 

  • 話が急すぎる

娘がハワイに旅行に行き、元気に帰ってくると思ったら、婚約相手を連れてくる。これだけでも驚きですが、さらに白人ではない。極めつけは「今日中に結論を出せ」と言う。もう完全にキャパオーバーです。時間を掛けて少しずつプレンティスを理解していけば、円滑に結婚できると思いましたが、それでは順調すぎて映画になりませんね。

プレンティス医師は高名な大学を卒業し、世界的に活躍しているエリート医師です。さらに性格もいい。母は序盤から娘を尊重し、また、プレンティスを信頼し、結婚に賛成します。

 しかしながら、父が最後まで反対します。面白いことに、ジョアンナの父はサンフランシスコの新聞社の社長です。新聞では「人種差別反対」を論調としています。このことからジョアンナも結婚を快諾してくれると思い、自信満々に父に紹介します。紙面では差別反対を謳っていた父も、いざ現実に自分の身になると、結婚に難色を示します。友人の牧師が「見損なったぞ」とかもっと酷いことも言うのですが、それでも父は結婚を渋ります。この葛藤が映画に深みを添えます。

  • アイスクリームのメタファー

 そして、私がこの映画で1番好きなシーンです。ジョアンナ父が気分転換に近所をドライブし、アイス屋でアイスクリームを食べるシーンがあります。以前この店で食べて美味しかったものと同じ味を注文しようと思うのですが、味の名前が思い出せません。店員の助けも受けて、出てきたアイスは違う味でした。しかし父は「これはこれでうまいな」と上機嫌になります。

 映画には直接影響を与えない、何気ないシーンですが、私はここにプレンティスとの結婚についてのメタファーが隠されていると思いました。出されたアイスはプレンティスを暗喩しています。思ったものとは違うものが出てきたが(思っていた結婚相手とは違ったが)、食べてみると意外とよかった(実は意外といい相手かもしれない)。

 

 

この他にも見所は沢山あります。他にもキャサリンヘプバーンの慈愛に満ちた母親役も必見です。2人は結婚を了承してもらえるのか、結末は実際に見て確認していただけると幸いです。