ambfダイアリー

Arts,Movie,Book,Foodでambfです。アラサー男子がアウトプットのために始めました。

【西洋絵画】ゴッホ-(前半)初期の絵は暗かった等の意外な話

こんにちは。本日はゴッホ(1853年~1890年)を紹介します。

有名すぎる画家であり、1度では紹介しきれないため、前半と後半に分けて紹介します。今回は意外と知られていないことも含めて3つのトピックで紹介していきます。

次回の後半ではゴッホが絵画に込めた思いを中心に紹介する予定です。

①生前に売れた絵は1枚

今では世界的に有名なゴッホが評価されるようになったのは、彼が亡くなってからです。生きている間に売れたのは「赤いブドウ畑」の1枚だけでした。400フラン(約11万円)で売れたそうです。

第二次世界大戦後に彼への評価は急激に高まり、1987年には「ひまわり」が当時のオークションでの最高額となる約53億円で安田火災海上保険によって落札されます。

その後の1990年にはまたも日本人がゴッホの絵画を114億円で落札しており、ゴッホの絵は高額取引の常連となりました。当時の日本はバブルで景気がよかったんですね。

因みに最近ではダビンチが描いた「サルバトール・ムンディ」が約510億円で落札され、話題となりました。この20年の間に最高落札額の高騰ぶりにも驚きです。

「赤いブドウ畑」1888年

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②初期は暗い絵

ゴッホといえば、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」といった、黄色を基調とした色彩豊かな絵画が代名詞です。しかし、初期の頃の彼は灰色を基調とした暗い、物寂しい絵画をよく描いています。(初期からカラフルな絵を描いていたとばかり思っていたため、私はこれに驚きました。)

農村の侘しい風景を描いた作品を数多く書き、「種まく人」も書いていることから、ミレーの影響を感じ取ることができます。

暗い色彩の絵はゴッホがオランダ・ベルギーにいる頃の作品の特徴で、色彩豊かな絵画を書くようになったのは1886年に弟のテオを訪ねて、パリに来てからです。印象派や浮世絵の影響を受け、彼の絵に彩りが増えていきます。

因みに、彼の代表作とも言える作品の殆どは1888年に南仏アルルへ移ってからの作品です。美術館等で作品の年代を確認すると、大体が1888年以降の作品のはずです。しかも彼は1890年に自殺していますから、晩年の数年の間に多くの世界的な傑作が生まれたことになります。

夜のカフェテラス1888年

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「種まく人」1883年

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「刈り込んだ柳のある風景」1883年

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ジャポニズム

日本の開国とともに、日本の美術品が西洋に流入し、西洋の画家たちは葛飾北斎をはじめとする日本の絵画の斬新な構図や色使いに驚き、吸収を試みます。西洋で日本美術の大流行が起きます。これがジャポニズムです。印象派が流行したきっかけの1つでもあります。
ambf.hatenablog.jp

 

ゴッホの絵画の大胆な画面構成と豊かな色彩は日本の浮世絵の影響を色濃く受けたものです。例えば「タンギー爺さん」では背景に日本の浮世絵が多数描かれていることからも、それが見て取れます。

代表作の「ひまわり」でも平面的な構図と色使いは浮世絵の技法を取り入れたものと言えます。

タンギー爺さん」1887年

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「ひまわり」1888年

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1月8日まで東京都現代美術館で「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を開催していますので、ぜひ展覧会に足を運んでいただければと思います。展覧会ではゴッホが得た日本からの影響とゴッホの死後、ゴッホ終焉の地を訪ねた日本人を通して、ゴッホを紹介しています。

事前に情報を入れた後で見に行くと、展覧会がより楽しくなると思います。 

【西洋絵画】絵画を見ると得をする3つの理由

こんにちは。本日は池波正太郎の「映画を見ると得をする」になぞらえまして、絵画を見ると得をする理由について考えていきたいと思います。

 これを機に、絵画に興味を持つ方が増えてくれれば嬉しいなと思います。絵を沢山載せましたので、それを見るだけでも楽しいと思います!

理由①画家の持つ思いを追体験できる

画家は苦悩の末に、数々の名作を生み出しています。その絵は美しいだけでなく、画家の苦悩が込められています。ぱっと見て美しいと思っても、画家の背景を知ると絵に対する感想に深みが増します。

多少の修復はしているでしょうが、絵の核は描かれた当時のままです。絵を前にして、画家の苦悩を想像することで、画家が絵に込めたやるせない思いに、鑑賞者も当時の空気のままに触れられます。これが鑑賞の醍醐味です。

例えば、ゴッホは耳を切り落としただけでなく、精神を病んで精神病院に入院しています。ゴーギャンは南国タヒチに妻子を捨てて移住しますが、日の目を浴びることなく、無念のまま病死しています。

ルノワールの絵画は綺麗で、一見苦労がなさそうですが、彼自身は貧しい家に生まれて、絵が売れない時期も長く続きました。

ゴッホ「星月夜」

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ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

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ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

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理由②歴史や宗教の勉強になる

絵画には単に鑑賞してもらうだけでなく、布教したり事件を伝える役割がありました。識字率が低く、聖書を読むことができない人のためにビジュアルで分かりやすく神父がキリスト教の話を伝えたり、カメラがなかった時代に革命や戦争等の一大事件を市民に分かりやすく伝えるためには、絵画が不可欠でした。

そのため、必然的に聖書や社会的な事件を描いた作品が多くなり、歴史や宗教を勉強したい人にとっては、格好の資料となります。絵画から宗教等を学ぶ書籍も多数出ていますので、それを使って勉強すると絵が沢山出ていますので、難解な宗教もとっつきやすくなるはずです。

ドラクロワギリシャ独立戦争を描いた「キオス島の虐殺」はギリシャ人家族が襲撃に怯える様子が描かれていて、戦争写真のような意味合いがありました。

また、多くの画家が描く「受胎告知」では聖母マリアがイエスを授かったシーンを描いています。因みに鳩は聖霊の象徴であるため、受胎告知には鳩が登場します。

ドラクロワ「キオス島の虐殺」

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エル・グレコ「受胎告知」

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理由③デザインの勉強になる

多くの人を感動させたり、気持ちを落ち着かせる等、鑑賞者の気持ちに訴求する絵画には、画家の画力が素晴らしいだけでなく、美しいと思えるように、デザインのテクニックが使われています。名画には名画たる理由があります。

例えばドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」では女神と横たわる死体とで三角系を構成させることで、絵画の迫力を増しています。

また、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は女性の衣装を青と黄色とに分けています。青と黄色は反対色と言われ、反対色は活発さを演出する効果があるため、女性がきびきびと注いでいる印象を与えます。

ドラクロワ民衆を導く自由の女神

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」

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おまけ

先日、上野の国立西洋美術館に行って、「北斎ジャポニズム展」と常設展を見てきました。もともとは北斎ジャポニズム展だけの予定でしたが、チケットを見せれば常設展も入れるとのことで常設展も見てきました。常設展の作品の殆どは写真を撮ることが可能だったので、特に気になった作品を紹介します。

ルノワールの「ルーベンス作「神々の会議」の模写」です。

紛らわしいですが、ルノワールルーベンスの作品を模写しています。ルノワール印象派となる前の作品で、駆け出しの頃の天才が天才の作品を模写したことに感動して写真を撮りました。

帰って調べたら、1861年の作品でルノワールが絵画の塾に入った頃に描かれたことが分かりました。画家としての勉強を始めた頃に塾から練習を命じられて書いたのかもしれません。ルーベンスが描いた作品も探したら見つかりましたので、両方掲載します。

ルーベンスルノワール、国も作風も異なって一見関係なさそうな二人が繋がったことに一人興奮しました。これも絵画を見てきてよかったことの一つです。

ルノワール

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ルーベンス

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【雑記】お酒の飲めない私が下戸の悩みと願いを挙げてみた

唐突ですが、私はお酒が殆ど飲めません。

全く飲めない訳ではないですが、概ね生中1杯で酔う程度の耐性です。ビールを飲んで美味しいと思うのは最初の一口だけです。スーパー等でお酒を買うことも友人の来訪等を除いては、まずありません。

そんな私が、下戸ならではの悩みと、こうなったらいいなという願望を書きました。

悩み

①飲み会が楽しくない

楽しくない理由は主に2つあります。

第一に、周りの雰囲気に馴染めないことです。周りが顔を赤らめて楽しそうにしている中で、どうにもお酒が入っていない私は溶け込みづらいです。ドリンクを注文するときも、アルコールの名前が飛び交う中でノンアルコールを頼むだけで場の空気が変わるのが分かります。お酒を強要されることはありませんし、話していて楽しいときもあるのですが、どうにも浮いている感じがします。

以前アメトークで「お酒飲めない芸人」の回があったときは、飲み会に参加しても、しらふだと信用されないことやノンアルコールを頼むタイミングを伺っているという話に非常に共感しました。

第二に、金銭的負担が不公平な点です。飲み放題だとしても、こちらは生中とコーラ位しか頼んでいないし、海老せん等の安めな料理に対して3千円~4千円程度払うことが勿体無く思えてきます。ましてや飲み放題ではないときは、更に上の金額にいくことがあり、もやもやします。

3千円あれば、ステーキや鰻等の大抵の美味しいものは食べられます。そちらに遣う方が有意義に感じられてしまいます。例えば、気の合う友人と美味しいとんかつを食べて食後に喫茶店でケーキとコーヒーを頼む方が遥かに満足度が高く感じます。

逆に、飲み会のいい面としては相手の人となりを知れることで仕事のコミュニケーションが活発になる点が挙げられます。その点では、飲み会の費用は単に飲食費用だけでなく、仕事の潤滑費用として考えられなくもありません。

そう信じて入社時はなるべく参加してきましたが、上記の2つの理由が次第に勝ってきてしまい、2年目頃から節目の飲み会以外は足を運ばなくなりました。

それでも仕事への影響は殆どありませんでしたので、この悩みは概ね私の中で折り合いが付いています。問題は次の悩みです。

②お酒ありきの飲食店に行きづらい

こちらの悩みの方が深刻です。私は食べることが好きなのですが、食べ物自体は好きでもお酒が飲めないために足を運べない飲食店が多々あります。

例えば焼き鳥やおでん等のお店やちょっといいフレンチやイタリアン等の、お酒ありきの飲食店です。

普通の居酒屋等でしたら、少量のお酒とノンアルコールを注文して肩身を狭くして飲んでいるのですが、焼き鳥やおでん屋では店が狭く大将との距離が近く、周囲の客もお酒と一緒に楽しんでいることを思うと、どう考えても歓迎されない客だと思い、気まずくてお店に入れません。

惣菜屋等でテイクアウトすればいいのではと考えたこともありますが、できればお店の煙や匂いが立ち込める活気のある雰囲気で食べたいなというのが本音です。

いいフレンチ等もワインを勧められることが苦痛で入れずにいます。できれば、飲めない体質であることを伝えて終始炭酸水で通したいのですが、どうにもみみっちい客だと思われそうで、入れずにいます。1回格好つけてワインを2,3杯飲みましたが気分が優れず、料理の味も分からなくなってしまったために、できれば料理を味わうためにも終始ノンアルコールで通したいです。(本来は、ワインと料理が相乗効果を生むのでしょうが。)

お酒の飲める友人等と入ってしまえばいいではないかと思いますが、どうにも店員からの視線が気になって入れずにいます。私は小さい男です。

この2つの悩みを解決できるための個人的な願いが以下となります。これが実現されたら非常に嬉しく思います。

願い

①会計に傾斜を付けられるアプリの普及

各人が飲んだ分だけ支払えるアプリやタッチパネルでの注文方法が浸透すればいいなと思います。お酒が飲めない身としては、できれば各自が飲んだ分は応分で支払ってほしいのが本音です。傾斜を付けてくれる時もありますが、逆に全くの割り勘の時もあります。割り勘になってしまう理由の一つに、誰がどれ位飲んだかを金額に反映させることが困難なことが考えられます。

なので、煩雑にならないように傾斜をシステム化できればいいと思います。誰が何を注文したかをスマホのアプリやタッチパネルと連動させることで、会計時の負担金額が明確化されます。現在はスマホでの個人間の送金が普及していますので、一人ひとりの支払額が異なっても支払は容易でしょう。

飲み放題でも、アプリ等と連動させることで、お酒を1杯程度しか飲まない人への割引が実現できると思います。例えば、アルコール一杯とソフトドリンクのみの人はコース料金から千円引といった具合です。そうなると、飲まない人でも飲み会に参加したくなり、居酒屋への来客増加に繋がるのではないかと思います。

②下戸でも入りやすい飲食店の普及

下戸でも堂々と入れる飲食店があればいいなと思います。

まずは下戸専用の飲食店はどうでしょうか。下戸はお酒を飲まない分、滞在時間が短いため、回転率は早いです。焼き鳥等はご飯と食べても美味しいので、定食屋さんみたいな形でも案外普及するのではないかと思います。

下戸専用とは言わないまでも、「下戸歓迎」や「食事処としての利用歓迎」等の看板やマークがあると非常に入りやすいです。下戸は売上に貢献しない肩身の狭さをよく分かっているため、食べたらすぐに退店します。なので、せめて入りやすいようにしていただけると個人的には嬉しいです。

ですが、それだと売上が減ってしまうとお思いの方は、下戸チャージとして特別料金を徴収するのも一つの手です。料金を払っているという自覚があれば、下戸でも堂々とお店にいやすくなります。

 以上、下戸がもう少し生きやすい世の中になればいいなと思い、私の悩みと願望をつらつらと書きました。

美味しい焼き鳥を堂々と食べたいです。

共感してくださる方は、シェアいただけると大変嬉しいです。

【書評】経済成長という呪い

経済成長という呪い(ダニエルコーエン、東洋経済)の書評です。著者はチュニジア生まれのフランスを代表する経済学者で、本書は2015年にフランスで出版されたものです。

 あらすじ

20世紀では産業革命による物質面の豊かさが人々に希望を与えてきました。しかし、21世紀に入り、経済成長が鈍化していく中で人々はどのように希望を見出せばいいのか。

前半から中半部分では人類史の観点から、人間誕生から現在までの経済成長についてを説明し、後半では著者の解決策を提示しています。

まず、前半から中半をかいつまんで説明します。産業革命の工業社会を経て、21世紀はデジタル革命により、スマートフォンタブレットが普及するポスト工業社会となりました。しかし、デジタル革命では産業革命の時のような経済成長は達成されませんでした。

著者によるとアメリカは過去30年間、国民の90%の購買力は向上せず、ヨーロッパでは同時期の一人あたりの所得増加率は3%から1.5%、そして0.5%に低下したそうです。

著者は、物質的な充足を絶えず満たすことで、裕福になれるという願い(経済成長の呪い)に変わる、新たな価値観を人々が手に入れることで、希望溢れる社会を作っていけると指摘します。

後半部分では、その新たな価値観をデンマークに求めるべきだという主張が展開されます。デンマークはポスト工業社会へうまく移行した例として、しばしば紹介されるそうです。

デンマークでは国民の幸福度が高いです。その理由として著者は、国民が自分たち国民及び国家を信頼し、ボランティア等が盛んで、労働さえも幸福の源となっていることを挙げています。なお、国家を信頼する理由は手厚い社会保障です。

すなわち、デンマーク社会のように、仕事や社会生活等で自身の役割を見出し、欲望を昇華させることができれば、それが物質的な充足に変わる新しい希望になると著者は指摘します。

感想

①経済史を復習できる

中盤まではざっくりとした経済史の説明になっているため、経済史を復習できます。特に、17世紀から18世紀にかけての科学や啓蒙思想の普及により、世界を神ではなく理性により知覚することが、産業革命へと繋がるという一連の説明は、大まかな流れを掴むうえで分かりやすいです。ペストによる人口減少やプロテスタントによる富の蓄積にも触れながら、ヨーロッパの経済成長を俯瞰的に説明しています。

私が今回「なるほど」と思ったのは、なぜ近代はヨーロッパが経済の中心となったかという説明です。歴史を変えた三大発明と言われる火薬、羅針盤活版印刷は全て中国で産まれた発明であり、11世紀~12世紀の宋はローマよりも栄えていたが、13世紀のモンゴル略奪と16世紀のイヴァン4世がロシアのステップ帯の交通路を遮断したために、中国は復興できなかったと著者は述べています。さらに、モンゴルの侵略により、中国の政治及び経済の中心は南部に移った(明)が、産業革命の原動力となった石炭は中国北部に位置していたことも、中国での産業革命を妨げたと述べています。

②フランスの国民性を知れる

著者はデンマークと対照的な存在として、フランスを挙げています。フランスは他人や国家を信頼することに対して悲観的だと述べています。ボランティア等の社会的な協力は最もしないそうです。確かに、フランスは個人主義とよく言われます。事実、フランス映画は個人の生活を描いたものが多いです。

この本はフランス人に向けて書かれた本であるため、著者はフランスの国民性や社会体制を懐疑的に考察しています。

著者はフランス国民に不信感が蔓延している理由としてヴィシー症候群や五月革命を例に出して説明しています。私はこれらの言葉を初めて知りましたが、現代フランス人の思想の根底にある、大変重要な要素だと感じました。フランスの現代史の触りとしてもこの本はお勧めできます。(後で色々と調べる必要はありますが。)

デンマークについての記載が少ない

著者はポスト工業社会の模範として、デンマークを真似るべきだと述べていますが、そのデンマークについての記述が少なかったのがやや残念ではあります。もっと文量を増やしてもよかったように感じます。

本著ではデンマークが理想と書かれていますが、以前、「英国一家、日本を食べる」の著者が書いた「限りなく完璧に近い人々」(マイケル・ブース KADOKAWA)を読んだ際には、デンマーク人は、国家の保障が手厚いために貯蓄をする習慣がなく借金が多いこと、その保障も近年は歪みが生じ始めていることが書かれていて、やはり完璧な国はないよなぁと思いました。

とはいえ、デンマークのように労働時間や通勤時間が短く、手厚い失業手当はやはり魅力的ではあります。

 

月並みではありますが、この本を読んで、デンマークに行ってみたくなりました。デンマークにて21世紀の豊かさについて、肌で感じてみたいと思います。

【映画紹介】トリュフォーの思春期-子供たちが織り成す王道のフランス映画

3ヶ月ほど放置してしまいましたが、また再開していきたいと思います。

トリュフォーの思春期(フランソワ・トリュフォー監督 1976年 フランス)の紹介です。フランスの地方都市に住む小学生たちの夏休み前の日常生活を、オムニバス形式で描きます。

沢山の子供たちが楽しそうに坂を駆け下りるOPシーンで早くも引き込まれます。色とりどりの服装の子供たちは瑞々しく、まるでドロップ飴缶のような映画です。

 ストーリー

パトリック達の通う小学校はもうすぐ夏休みで生徒は浮かれ気味。

そんな中、ジュリアンという生徒が転校してきます。ボロボロの洋服を着て、いかにもな貧困家庭の子供です。このジュリアンは新しくできた友人と映画の無賃鑑賞などの悪さをします。

その他にも、パトリックが友達のお母さんに恋をする話や、先生や先生が住むマンションの隣人たちの話など、様々な話があります。

こういった様々なエピソードで、この映画は構成されます。

感想

  • 監督について

池波正太郎が「トリュフォーは子供を撮るのがうまい」と指摘したとおり、まさに子供たちが活き活きと映されています。あどけない表情、可愛らしい表情から小憎らしい表情や憂いを帯びた表情まで。

子役はオーディションで選んだそうで、監督はとんでもない「眼」を持っているなと思います。余談ですが、トリュフォー自身の娘も出演しています。

  • ジュリアンについて

物語の根幹をなす、不良少年のジュリアンを演じた子役の演技が非常にうまいです。『スタンド・バイ・ミー』のクリスを演じたリバー・フェニックスもそうですが、不良少年の退廃感と憂いを見事に演技しています。

クリスもジュリアンも家庭環境が悪いことが不良になる原因で、根っからの悪というわけではないのですが、その辺りも悲しげな表情や仕草で完璧に表現しています。

ジュリアン役はフィリップ・ゴールドマンという子役ですが、その他の出演作品が見つかりませんでした。他の作品も観てみたかっただけに残念です。

因みに、ジュリアンという名前からはスタンダールの『赤と黒』の主人公、ジュリアン・ソレルを思い出させますが、名前の関連性があるのか気になります。貧困階級という点では同じですが、本作品のジュリアンは野心家のような描かれ方はしていませんでした。

  • 恋愛について

ませている!率直な感想です。

若干のネタバレになりますが、パトリックは友達のお母さんへ気持ちを伝えるために、薔薇の花束を渡します。小学生ですよ笑。

また、パトリックを連れる友人は中学生の年上女性にナンパをして成功させます。2対2の計4人で映画館に入るのですが、その友人はナンパした女性にパトリックが興味がないと知るや(友人の母が好きですからね)、二人の女性の間に自分が座り、二人の肩に手を回しながら「両手に花」の状態で映画を鑑賞します。もう一度言います。小学生ですよ笑。

  • 先生について

パトリックとジュリアンの担任の先生が夏休み前のHRで生徒にメッセージを伝えます。諸事情によりクラスを離れてしまったジュリアンへの優しさと社会への希望を謳うメッセージは映画に深みを添えます。

このシーンを子供たちに見せるために、小学校のHRでこの映画が上映されたらいいなと思います。

  • 全体を通して

子供たちは色とりどりの服を着ていて、また部屋の中も鮮やかな色の小物が多く、全体的にカラフルな映画です。色彩の豊かさは『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』、『DIVA』や『ミックマック』に近しいものがあります。鮮やかな色彩はフランス映画の特徴なのでしょう。

そして、印象的なカメラカットは物語の終盤、ジュリアンの家からズームアウトして小ぶりな紫の草花を写した所です。花の儚く健気な美しさはジュリアンを表すのでしょう。まるで詩の一場面のような美しさです。

フランス映画はお洒落というイメージがありますが、この映画も多分に漏れません。色彩鮮やかで詩的な映像とエスプリの効いた笑い、さり気ないメッセージが込められるこの映画はフランス映画の王道と言えます。

私はフランス映画が好きなのですが、このような映画を観てしまうと益々フランスにかぶれてしまいます。 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

【西洋絵画】クールベ-新古典派でもロマン派でもない、第三の道

少し更新が滞ってしまいましたが、今回はクールベ(1819年~1877年)を紹介します。

 クールベは写実派(リアリズム)に属します。「写実」の名のとおり、見たものを見たままに描くというのが特徴です。

 印象派以前の19世紀フランスにおいては、アングル等の新古典派ドラクロワ率いるロマン派の対立がありました。

ambf.hatenablog.jp

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理想の美を追求した新古典派と現実を躍動的に描いたロマン派との、このどちらにも属さずに、自らの描きたい日常の風景を描いたのがクールベです。

普通の労働者や田舎の日常風景等、官展の美の基準から離れた絵を描いていた彼は、何度も官展に落選します。

自信作であった「画家のアトリエ」が落選した際は、会場の隣の小屋で、西洋絵画史上初の個展を開催します。客の入りはさっぱりでしたが、ドラクロワも個展を訪れ、作品を賛辞したそうです。

それでは、作品を見ていきましょう。

オルナンの埋葬

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こちらは1849年~1850年頃に描かれた作品で、田舎の農民の葬式を描いた作品です。聖書の一場面を描くでもなく、英雄もいない。田舎の日常にも関わらず、クールベは七メートルの大作に仕立てあげました。

大作には、それに相応しい重厚なテーマが必要でしたが、それに対しての批判も込められているのでしょう。クールベは、「これはロマン主義の埋葬である」という言葉を残しています。

出会い、こんにちはクールベさん

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1854年に描かれたこの作品は、作者本人がパトロンのブリュイアスとその召使いに出会い、挨拶するシーンを描いています。

特筆すべきは、作者が偉そうにしている点です。パトロンは直立不動で左手を広げ、友好と尊敬の意を表していますが、クールベは踏ん反り返った仏頂面です。

さらに、作品の題名が「こんにちは、クールベさん」です。本来は、絵画を買う立場であるパトロンに敬意を払って「こんにちは、ブリュイアスさん」にすべきところだと思ってしまいます。

因みに、サブタイトルは「天才に経緯を捧げる富」だそうです、、笑。

事実、クールベは大層な自信家で、自分で執筆した自伝に「絵を始めた最初の時期から、我が国の数々の美術館にある最高の作品と肩を並べる作品を描いた」と記述しています。

 また、「私は見えるものしか描かない。天使を描いて欲しかったら、天使を連れてきてほしい。」といった名言でも知られています。

非常に強気な画家だったのでしょう。

画家のアトリエ

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1855年に描かれたこの作品は、前述した個展を行うきっかけになった作品です。サブタイトルは長く、「私の芸術的人生の7年間を要約する現実的寓意」です。

絵の中央が制作をするクールベその人で、右側に彼の支持者、左側に市民の人々をそれぞれ描いています。

絵の右側には、クールベの制作を眺めるブルジョワ市民の姿があり、右端の本を読む人はボードレールです。パトロンブリュイアスも描かれており、彼の友人や支援者等の、人間関係を表しています。

一方、左側では「寓意」のタイトルが示すように、髑髏を載せた新聞はジャーナリズムの衰退を表し(当時の新聞がナポレオン3世の広報誌となったことへの批判)、生地を売る商人は商業活動を表しています。また、その周囲には農民や失業者、端には神父がいます。これは彼が絵のモデルにしていた名も無き人々を表しています。

つまりこの絵は、クールベが今まで見てきた興味関心を1枚のキャンバスに詰め込んだ、写実派絵画の集大成と言えます。

 クールベは個展の目録に、「私が生きる時代の風俗や思想や事件を見たままに表現する」という言葉が記載しており、こちらは後にレアリスム*1宣言と呼ばれます。

題材を聖書や歴史に頼らず、視覚を頼りに対象を描く写実主義は、マネを始めとする印象派に大きな影響を与えました。

*1:リアリズムのフランス語読み

【西洋絵画】ドラクロワ-ロマンを求める情熱の画家

先日は、アングルを紹介しましたので、今回はアングルのライバルとして紹介されることの多い、ドラクロワを取り上げます。

アングルは新古典派主義に属します。新古典派主義は古代ギリシャ・ローマ時代の美を理想とする立場です。これまでも評価されてきたこれらの時代の美(理想美)を、冷静に追求していきます。

躍動感のあまりない固定的な構図や滑らかな陰影が作品の特徴です。

 

ambf.hatenablog.jp

 これに対し、ドラクロワロマン主義です。こちらは、新しい美のあり方を模索していく立場です。言わば、情熱的に「美」を追い求めます。理想美を追求するだけでは先人の巨匠たちを超えることはできません。他者と違った作品を作り、個人がそれぞれ持つ美の基準(個性美)に訴えかける作品を作っていきます。

ロマン主義では、当時の戦争等の大事件を、リアルタイムに描いた時事画や、それに伴う悲惨な現実も描いています。

こちらは、躍動感ある構図や荒々しいタッチが特徴です。ドラクロワの他に、ゴヤジェリコーがロマン派に属します。

前置きが長くなりましたが、ドラクロワを紹介していきます。

経歴

ドラクロワ(1798年~1863年)はパリ近郊に生まれます。外交官の裕福な家に生まれたとされていますが、本当の父はタレーランという説が有力です。*1

ルーベンスの荒々しいタッチや、ヴェネツィア派(ジョルジョーネやティツィアーノらが有名)の色彩豊かな画風に影響を受けます。

1832年に、七月革命後のブルボン復古王政のもと、モロッコ使節団に同行します。当時はまだ写真がなかったため、記録係として画家が同行するのが習わしでした。

1838年にはブルボン宮殿図書館や、ヴェルサイユ宮殿の装飾を政府から依頼されます。

1863年に65歳で死去します。

民衆を導く自由の女神

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ドラクロワと言えば、これ!的な作品です。こちらは1830年に描かれました。フランス革命を描いたように思われますが、実は違います。(私も勘違いしていました。)

世界史が好きな方なら制作年でピンと来たかもしれませんが、七月革命を描いた作品です。

七月革命フランス革命によりブルボン王家が倒れた後、ナポレオン失脚後に再度ブルボン家が王権を握ったことに反発する革命です。1830年に起こりました。

この一大事件をドラクロワは同年に描いています。自由を求める民衆の躍動感が、ひしひしと伝わってきます。

中央にフランス国旗を持って乳を出している女性は、人間ではなく「自由」を擬人化した存在です。女性が被っている帽子はフリジア帽と呼ばれ、自由を象徴するアイテムです。(古代ローマで解放された奴隷に、フリジア帽を与えられたことが由来だそうです。)

また、女性と倒れている人とをそれぞれ結ぶと三角形の形になります。これは躍動感を演出するピラミッド型の構図で、バロック絵画でも多用されています。

因みに、シルクハットを被る紳士は、ドラクロワ本人と言われています。彼自身もブルボン家復権に対しての怒りを表現したのでしょうか。

タレーランはブルボン王政を復活させましたから、本当に父がタレーランとするなら、父に対して反対したことになります。

「キオス島の虐殺」

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こちらは1824年に描かれた作品で、同年代に発生したギリシャ独立戦争を描いた作品です。タイトルは「死か奴隷かを待つギリシャ人の家族」と続き、戦争の悲惨さを表しています。*2

写真がなかったこの時代、ギリシャ人の無残な様子を描いたこの絵画は、戦争写真のようなジャーナリズム的な意味合いもあり、ギリシャ独立を支援する世論の形成にも一役買ったのではないかと思います。ギリシャ1830年に独立が決定しました。

絵具が見えるほどの荒々しいタッチや、悲惨な事件を題材にしたことに対して当時の美術界は批判し、「絵画の虐殺」と揶揄したそうです。

「アルジェの女たち」

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1834年に描かれたこの作品は、モロッコ使節時のデッサンを基に描きました。美麗な服装や装飾品を身に付けるオリエンタルな女性の様子だけでなく、水煙草、絨毯、タイルやクッション等、当時の生活様式も伺えます。

アングルもオリエンタルな女性を描きましたが、その画風の違いに驚きます。

アングル「トルコ風呂」

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アングルと並ぶ巨匠でありながら、ドラクロワのアカデミーへの入会はなんと1857年で、死去の5年前です。しかも、アングルは最後まで入会を反対していたそうで、対立の根が深そうです。

しかしながら、当時の人々がリアルで臨場感の溢れるロマン派の絵画を求め始めていた世論もあり、ドラクロワはアカデミーへ入会します。

また、アカデミーからは嫌われていましたが、政府のモロッコ外遊には随行し、政府関係の仕事はよく受けていたので、政界と美術界とはそれぞれ権力が分立していたのだと個人的に思いました。

それでは本日はこの辺までと致します。お読みいただき、ありがとうございました。

*1:タレーランはフランスの政治家でウィーン会議に出席するほどの実力者

*2:ギリシャ独立戦争は、ギリシャオスマントルコからの独立を求めた戦争です。